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辺利 未来

辺利 未来


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1970年代は日本サッカーリーグ(JSL)があった。JSLのチームと対戦して負けたことがないチーム。そのチームはJSLのチームを大差で負かしたりする。かって散発的に新聞に掲載される記事で、「日本の最強クラブ」、「幻の日本一」とのチームは在日朝鮮蹴球団(チュックダン)であると知った。

チュックダンの試合日程を知るすべはなかった。近づきたいと、1971年8月には三ツ沢競技場で開催された神奈川朝鮮高校対上海ジュニア戦を、1974年3月にはJSL選抜対北朝鮮戦を観戦した記憶がある。
この時代のサッカー観戦切符は:
http://ikokuno.web.fc2.com/soccer_tickets.html


この「幻の日本一」と呼ばれた在日朝鮮蹴球団や東京朝鮮高校サッカー部でプレーヤーとして指導者として、稀有な才能を発揮し黄金時代を作り上げたのが本書で描かれている金明植だ。

金明植は1938年に東京の深川に生まれ、枝川で育った。
枝川の街歩き日記は:
http://hamidashirakuen.blog36.fc2.com/blog-entry-3833.html


その後、中央大学サッカー部で、1957年に天皇杯獲得。
だが、1958年の天皇杯では決勝で、関学のリーと恐れられた李昌碩のいた関学に敗れる。1962年には在日朝鮮蹴球団の結成メンバーとして李昌碩とともに参加している。1968年、在日朝鮮蹴球団の連勝は57でストップ。

1971年には東京朝高サッカー部の監督に就任。1986年退任。
著者はこの間、東京朝鮮高校サッカー部の強かった理由を執拗に追いかける。
世界レベルで強かったのは東欧諸国。その国々の戦い方を学び、高校で選手たちに教えてゆく。

例えば、4-4-2を採用していたチームに、ブラジルが採用していた4-2-4を教え込む。サッカー強豪校が東京朝高との対戦を望み、「朝高詣で」と呼ばれるまでになっていったのだ。

日本サッカーの歴史書は、金明植を欠いては完成しないとの思いを強くした一冊だ。


著者木村元彦は「争うは本意ならねど」で我那覇選手のドーピピング濡れ衣事件を描く:
http://hamidashirakuen.blog36.fc2.com/blog-entry-3561.html


世界のサッカー観戦記録、世界のサッカー場訪問記録(21回アップ)は:
http://ikokuno.web.fc2.com/thema_soccer.html








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